楽しいことは、正義。

よそはよそ、うちはうち、自分は自分。

笑いでお祓い

先日、修羅場を経験しました。

修羅場は、その時はとても怖いのだけど、過ぎてみれば滑稽です。

恐怖と笑い、悲劇と喜劇は紙一重です。

となりのトトロで、お風呂に入っていたお父さんと皐月とメイが笑ってまっくろくろすけを追い出す場面を思い出しました。

笑いは、お祓いなのです。

どんな苦しいことも、辛いことも、笑い飛ばせばなんとかなる。

深刻にならないこと。思いつめないこと。俯瞰してみること。

視野を広く持ち、視点を変えて、物事をありのまま眺めると、たいていのことは思い込みだったり茶番に過ぎない。

不幸は、自分の心が作り出すものです。

何が起きても、「こんなことが、私の人生の中で起こるとは!意外!」とおもしろがれるような心の余裕を持って生きていけたらと願います。

タダイマゼッサンシツレンチウ

失恋すると、美術館でなんの絵を見ても、コンサートでなんの曲を聞いても、失恋した相手のことを思い出します。不可抗力です。

初めて会ったときのことや馴れ初めや、一緒に行った場所、記憶があふれて止まらなくなります。

もう二度と恋人同士に戻れないのが、悲しいのか、ほっとしてるのか、いやまた戻れるんじゃないかと思ったり不安定です。

もう戻れないことはわかってるけど、まだ受け入れられないのです。楽しかったことばかり思い出すから。

道ならぬ恋の代償

死の棘を読んでいます。

この本は、とても怖いです。

狂った女性ほど、怖いものはないのじゃないかと思います。

幽霊は女が多いし、髪が長い。

能面では、女の鬼は角が生えます。

嫉妬心や怨念は、特に女に宿りやすいものなのでしょうか。

あからさまな敵意の前に、人は言葉を失くします。

狂っても、言葉づかいは丁寧でありたい。

狂気は、誰の心にも宿る可能性があります。他人事ではありません。

恋は乞い

雨乞いは、雨が降っているときにはしない。

恋は、いつもそばにいる人にはしない。

会えない人、遠くにいる人、事情があって堂々と会えない人。

結婚相手に、恋をし続けることはほとんど無理だ。

 

魂の根腐れ

接客業では悪質なクレーマーに遭遇することもある。それが長年にわたり、その対象がどんどん邪悪になっていくので、もはやおぞましい存在となってしまった。

すべての人を不快にする、見下す、他人のせいにする、醜い。いいところなどひとつもない人間というものがいるのだと初めて知った。

犯罪者ではないが、犯罪者より罪深い。

魂が根腐れを起こしている。他者にはそれが見える。本人には見えない。

無自覚に、他者に疎まれて嫌われて迷惑をかけて生きていくこと自体が、罰なのだ。無自覚に醜く老いゆくことこそが、罰なのだ。自覚できない腐りきった精神は決して浄化されることはない。

縁遠い人は、子ども時代が長い

恋愛経験が少ないのが、ずっとコンプレックスでした。

ところが、最近わかったのです。

恋愛経験が少なかったり、遅咲きのひとは、子ども時代が長い。

子ども時代の定義が、「生殖行動がない(性欲を感じない)」の場合です。

子ども時代が長いと、想像力が豊かです。

性行動は実際にするより、しないで妄想する方が楽しい場合もあります。

失恋したら、エネルギーがわいてきた

失恋すると、直後はショックで立ち直れないのですが、少し経つとむしろエネルギーが湧いてきます。

恋愛に使っていたエネルギーが戻ってくるからです。破壊による再生が行われます。

ベストセラーの新書「生物と無生物のあいだ」にも同じようなことが書いてありました。身体の細胞は毎日変化し続けている。入れ替わっている。

失恋は、エネルギーの還元でもあります。新しいことを始めたり、今まで好きだったことにより打ち込んだり。時間もたくさんあります。以前ほどストレスはありません。ストレスの強い恋愛の場合、恋愛中はいつも疲れ切っているものです。

失恋して良かった。元気になった。エネルギーが有り余っている。さあ、何を始めよう。ワクワクする。恋愛は非効率だし無駄が多いという側面があり、とはいえ素晴らしいものだが、執着したり囚われたりしてもいたからしんどかった。失恋して自由を感じているのなら、残念ながらきっと恋愛に向かないのだろう。