楽しいことは、正義。

よそはよそ、うちはうち、自分は自分。

同情と共感、不幸と不便は別ものです。

深夜の入浴は瞑想に近い。

「大変でしたね」はいいけれど、
「かわいそうに」と言われるのが嫌いです。
共感してほしいけれど同情されたくはない。誰からも憐れまれたくはない。

「不便だけど不幸じゃない」という言葉は、以前ハンディキャップがある著名な方がおっしゃってたと記憶してますが、これ「不幸」と言われがちな事柄、なんにでもあてはまるんですよね。
病気、加齢、未婚、離婚、低収入、非モテ
原因が何にせよ周囲と軋轢が生まれるのは、自分を不幸だと思ってる人に多い。
言い換えれば、自分自身に同情してしまっている人たち。
これは高齢のクレーマーにおいて顕著です。
年齢を重ねて身体も弱ってきて無理がきかなくなる。
周囲とうまくコミュニケーションがとれなくなる。
そういう諸々の自分の不幸を、最終的に他人のせいにしてしまう。

私は自分の幸せにあまり興味がなかったのですが、
どんな形でも幸せにならないと他人を不快にさせてしまう人間になる可能性が高くなるような気がしてきたので
ひとまず考え直してみます。

かと言って、自分の幸せを吹聴する人も
どこかに不安があるからのような気がしてなりませんが。

私は他人の害にならない人間になりたい。「雨ニモマケズ」の人間像が理想形です。偽善者かもしれません。