楽しいことは、正義。

よそはよそ、うちはうち、自分は自分。

歩き遍路に行ってきました。

歩きのお遍路さんへの地元の方々の温かいまなざしというのは、子どもに向けられるものに近かった。子どもがひとりで歩いていたら、こういう対応をしてくれるだろうと想像に難くなかった。「歩きなの?」「がんばってね」「いいお天気になって良かったね」「どこから来たの?」「えらいねー」おじちゃんもおばちゃんも、私がお遍路さんの中では若い方で性別が女のせいもあるだろうけど、こちらが戸惑うほどの厚意を向けてくれた。地図を見てるだけで道を聞く前に声をかけてくれた。私がわかるまで何回も道順を説明してくれた。「お遍路さーん!」って呼びかけられたから振り返ったら男性が走ってきて手作りのかわいい小さなお地蔵様をくれた。うどん屋さんに道を聞いたら「うどん食べてく?」って言ってもらったり、軽トラにクラクションを鳴らされて見たらおじいちゃんが降りてきてもぎたてのみかんを枝ごとくれようとした。納経帳を書いてくれたお坊さんでさえ、歩き遍路だと知ると「飴持っていきな」っていろんな味のキャンディーをいっぱいくれた。中学生の男の子に道を聞いたときも、とても親身になって教えてくれた。
なんだか懐かしかった。子どものとき、私は周りの大人たちに大事にされてたんだなーって思い出した。私は早く大人になりたいと思っていたし、大人になった今の方が生きやすいけれど、子どもに対して注がれる温かいまなざしは子どもの特権であったことを今になって思い知った。失ったことさえ気づいていなかったけど、いつの間にか与える側になっていた。
お遍路さんは子どもに戻れる場所。大好きな絵本「はじめてのおつかい」を思い出す。
無垢で弱くて守られるべき存在。子ども扱いされるということは、無条件で大切にしてもらえるということ。
強くて賢い女が嫌われるわけではない。弱くて子どもに近い女が愛されやすいだけだ。