楽しいことは、正義。

よそはよそ、うちはうち、自分は自分。

ある若者の半生。

人の話を聞くこと、人から話を引き出すのが好きな聞き上手の話し下手な自分。以下は1年前ぐらいに読書会後の交流会で聞いた話。その場限りだったけど、印象に残って思わず書きとめた。そのメモが見つかったので長いけど載せてみます。なぜか小説風の文体…笑

彼は病弱な子どもであった。生まれつき肺が悪かったのだ。病状は深刻で常に治療を必要としたため、病院に併設された学級で小学生時代の多くを過ごした。
両親は彼に優しかった。しかし彼は自分の病気により両親に迷惑をかけていることをいつも心苦しく思っていた。
彼は両親に「がんばれ」と言ってほしかった。「お前はもっとできる!病気に立ち向かえるぞ!」と発破をかけて元気づけてほしかった。「そんなんじゃだめだ!」と叱ってほしかった。腫れ物に触るように接してほしくなかった。彼は他者から現状の自分を否定されることを望んでいた。
しかし実際のところ両親は彼を優しく気づかうだけであった。両親にしてみれば、息子の病気は息子のせいではないことはわかりきったことだった。むしろ先天性の疾患であったために負い目を感じていた。そんな自分たちがどうして息子を責めたり追いつめるような否定の言葉を投げかけることができよう。もちろん否定と励ましや期待の言葉は別物だが、彼らは息子に何かを望んで求めることで誤解を招くことを恐れた。
彼が成長するにつれ、病気は快方に向かい体力も向上した。中学に入学してから彼は呼吸器を鍛えるために陸上競技を始める。長期的に地道な努力を続けた結果、心身が鍛えられ病気は完治した。驚くべきことに最終的には大学の駅伝の選手にまでなったのだ。
いつの間にか病弱な子どもは、他人に肯定されることを望まないアスリートになっていった。
(つづく)